六ヶ所村に行ったときのはなし-共謀罪に思うこと

今から13年前、2004年3月のこと。大学院の指導教授とともに、青森県の下北半島をまわって地域のさまざまな方(行政職員、新聞記者、反対運動をしている方、まちづくり団体の方、再生可能エネルギーを推進しているNPO等)にお会いし、原子力施設のことなどについてお話を伺ったことがあります。

まわった地域は、青森市、六ヶ所村、むつ市、東通村、大間町。当時、私は社会人学生として大学院に入る直前でした。入学式より前に、先生から「フダくん、調査旅行をするから君も来なさい」と言われて、他の院生とともに青森に行くことになったのでした(入試前に先生の著書も読んでいたので、多少は原発の問題についても知っていたけれど、調査旅行に行く前は原発への関心はあまりありませんでした)。

どこの地域の誰の話もそれぞれとても興味深く、新聞報道などで受けるイメージとはまったく違った「現実」がそこにあるのだということを強く感じました。全部紹介したいくらいだけど、今回は六ヶ所村の話をちょっとだけします。

六ヶ所村には核燃料再処理工場というものがあります。1993年に建設が始まって、さまざまなトラブルが続き、延期に次ぐ延期で、2017年現在まだ本格稼働が始まってない原子力関連施設です。

この工場では、原発から出てくる使用済み核燃料を化学処理して、ウランとプルトニウムを取り出します。燃料としてまた使うということに一応なっています。プルトニウムは核兵器の原料になるので、その保有は国際的にとても厳しく制限されています。そんな物質を扱うくらいなので、極めて危険性の高い施設です。

六ヶ所村に行って地元の人に話を聞く前、私は村の政治状況をこんなふうに想像していました。村議会は、過半数を占める再処理工場賛成派と、比較少数の反対派議員との争いなのかなと。

現地で何人かの方に話を聞いたら、その想像はまったく間違っていることがわかりました。反対派は少数なのではなくて、そもそも議席がないのです。選挙に立候補しても、反対派はたったほとんど得票できず、当選ラインに遠く及ばないとのこと。村議会は、推進派の中で村長派と反村長派の派閥に分かれ、議員はほぼ土建屋で、再処理工場建設にかかわる公共事業をどちらの勢力が受注するかで争っているとのことでした。

そのような状況だから、村民が再処理工場にほとんど賛成なのかというと、それもまた違います。かつては、六ヶ所村でも漁業者を中心に大規模な反対運動がありました。しかし、それは金の力でどんどん切り崩されていったそうです。つい昨日まで反対派のリーダーだった方が、急に賛成にまわるということもあったとのこと。家族や親戚、隣近所といった近い関係の中で賛成と反対に分かれ、仲違いすることもたくさん起きたといいます。

切り崩しによって反対運動は勢力を弱め、住民同士の仲違いで村民は疲弊し、再処理工場の建設の進展により既成事実がつくられ、私が訪れたときは表立って反対を唱える人は村では極めて少数になっていました。本当は再処理工場に反対であったり、不安に思っているけれど、それを言うことのできない人は少なからず存在していました。しかし、誰がどこで何を言ったか、何をしたかがすぐに伝わる村においては、再処理工場のことを話すこと自体がタブーとされ、日常の会話で出てくることはほぼないとのことでした。選挙も、地域の関係が密で、誰が誰に投票したか(あるいはしなかったか)の票読みがかなり正確にできるので、本音では反対でも反対派に投票することはできないという話でした。

さて、2017年、現在のことに話を移します。

国会では共謀罪法案が可決されました。そんなニュースを聞いて思い出したのが六ヶ所村のことでした。共謀罪が成立したら、日本全体が六ヶ所村のようになるだろうなと。

共謀罪が施行されたら、国家による監視が強まるのではないか、そういう懸念もされています。しかし、それより私が恐ろしいと思うのはこういうことです。例えば、Aさんが「原発は反対だ」と言ったとします。そうすると、こう言う人が現れるかもしれません。「Aさん、共謀罪があるから、そういうことはあまり大っぴらに言わない方がいいですよ」と。

あるいは、Aさんには直接そういうことを言わず、Aさんの周囲の人に「Aは反原発だから、共謀罪もあるし、あんまり関わらない方がいいよ」と忠告するかもしれません。言われた人は、Aさんとの付き合いを避けるようになるかもしれません。

国家権力が、本当にAさんを監視するかどうかはわかりません。実は全然監視してないかもしれない。でも、反対運動を押さえ込みたい側にとっては、相手に「監視されているかもしれない」と思わせることができればそれでいいわけです。あとは勝手に、市民同士が相互不信となり、分断され、権力にとって望ましくない意見を言わせない空気ができればそれでいい。

自主規制。忖度。空気を読む。

六ヶ所村で起きていたのはそういうことです。「核燃」の話をすると、話したことがどこかに筒抜けで、人間関係や仕事の関係で自分が不利益を被るかもしれないし、誰かに不利益を与えてしまうかもしれない。住民同士、自分のために、相手のために、過度に慮ることで、政治権力にかかわるテーマの話はできなくなる。

これは、NPOや市民活動の持つ価値とは対極になります。ある目的のために人々が集い、組織をつくり、信頼し、協力しあって活動し、社会を変えていく。社会に力を生み出すこうした価値が、共謀罪のもたらす「空気」によって蝕まれていきます。

そのことのさらなる恐ろしさは、これをいつの間にか所与のものとして受け入れてしまうことです。そういうことは言ってはならないものなのだという自主規制が当たり前になり、いずれそのことに何の問題も感じなくなるでしょう。そしてそれはすでに起きているのです。

私自身、いつまでそうした「空気」に抗えるかわかりません。もしかしたら、いつしかそれに慣れてしまって何の問題も感じなくなるときが来るかもしれない。だから、今のこの考えをここに書き留めておきます。

【さいたま市市民活動サポートセンター指定管理制度停止問題】なぜ声を上げなければならないのか – 市民的公共の観点から

 さいたま市市民活動サポートセンターの利用団体の中に原発や憲法9条、拉致問題など政治的テーマを扱う団体があることを自民党市議らが問題視し、同センターの指定管理者制度を取りやめる条例改正案が2015年10月16日、市議会で可決された。この件について、議論の前提としてまず法律的な観点から問題点を指摘した。

 今度は、より本質というべき市民的公共という観点からこの問題を考えたい。そして、NPOや市民活動に携わる人が今回の条例改正(むしろ改悪というべきだが)に対し、なぜ反対の声を上げなければならないのかを述べる。

政治的抑圧は市民活動を萎縮させ、政治的テーマの言論および活動を抑制させる

 今回、政治的活動をしているとして槍玉に挙げられたのは、ほとんどが専従職員や決まった事務所を持たない小さな任意団体ではないかと思われる。こうした団体が、さいたま市市民活動サポートセンターのような公共施設を利用できないとなると、活動の継続にかなりの支障を来すだろう。
 また、今回のケースでは来年からの指定管理制度が急遽取りやめになった。これは次期指定管理者の有力候補であったさいたまNPOセンターにとっても大打撃である。市民活動サポートセンターのスタッフを継続して雇用するのは容易ではないだろうし、法人の運営基盤も大きく揺るがしかねない状況かと推察される。
 こうした”仕打ち”を受けるのであれば、市民活動団体が萎縮し、政治的に賛否のあるテーマを扱うのはやめようという抑制が働くことも懸念される。さらには市民活動支援施設の管理運営者が、政治的テーマで活動する団体をあらかじめ排除するような動きも各地で出てくるかもしれない。
 全国に市民活動支援施設があるが、その設置根拠となる条例において市民活動団体の定義はほぼNPO法の条文を踏襲している。さいたま市議会での理屈がまかり通るのであれば、市民活動を抑圧する事態が各地でも起こりうるのである。やっかいごとを避けるために市民活動が抑制されたり、自主規制が進む可能性は十分ある。

市民的公共が縮小され、自発的隷従が生まれる

 行政や議会のみが公共を担っているのではない。NPOや住民組織などによる市民的公共の領域があり、市民活動やボランティア、社会的事業などが活発に展開されているのは周知の通りである。さらに、市民的公共を形成する上で重要なのは、市民による多様な言論である。
 また、政治的に中立であることが公共なのではない。むしろ多様な意見の存在が尊重され、それぞれ対等な立場で討議・対話がなされることが市民的公共にとっては欠かせない。多様な意見が存在し、それらが闊達に議論されることで市民的公共は厚みを増し、豊かになる。この意味で公共とは言論の空間であり、公共圏とも言われる(*1)。
 市民活動団体による政治的テーマでの活動や言論が萎縮させられるということは、すなわち市民的公共が縮小させられることである。市民的公共が縮小した世界においては、自発的隷従が生まれるおそれがある。
 例えば、原発の賛否に関する議論・活動が抑制された社会においては、原発の問題について考える機会も奪われてしまうことだろう。反対・賛成さまざまな議論に触れることができれば、そこから自分の意見をつくっていくことができる。しかし、そもそもそうした議論に触れる機会がないのであれば、現状を追認するしかない。
 公共の枠が権力者によって線引きされ、狭められてしまううちに、こうした追認行為は、しぶしぶながらの追認からやがて無自覚の追認になる。さらには「国がそう言っているのだから、それが公共だ」として、妥当性を検討することなく、進んで受け入れるようになるだろう。こうしてまったく無自覚に、権力への自発的隷従が生まれるのである。
 市民的公共が確保された中で、さまざまな意見に触れた上で国の施策に賛成するのと、権力者が引いた線の枠内だけを公共と捉えて国の施策に賛成するのでは、結果は同じでもその意味合いはまったく異なる。そこに私たちは気づかなければならない。

やり過ごさないこと、オルタナティブであるということ

ネットワーキング

 昨今、政治の世界においては、政治的決定により既成事実を積み上げ、反対する者に無力感を味わわせ、あきらめさせようとする手法がまかり通っている。”There is no alternative”(TINA:これ以外に選択肢はないの意)というように、初めに結論ありきで、そこに対話が生まれる余地はない(*2)。市民的公共においては、互いが対等であり、それぞれの意見が尊重された上で討議や対話がなされるが、それとは真逆の態度である。
 政治的多数を占めている側からすれば、対話をすること自体が譲歩に他ならないという感覚なのであろう。対話によって公共性が豊かになるなどとは思いもよらないのである。
 対話を軽視する/対話に応じない相手と、どう向き合うべきか。それに対する有効な手段はまだ見えてこないが、大事なのは「やり過ごさないこと」である(*3)。「自分は関係ないから」、あるいは「何か言って変わるわけではないし」とやり過ごすことで、市民的公共は浸食され、少しずつ損なわれていく。
 だから、おかしいと思うことにはおかしいと言おう。そこから公共が生まれていく。80年代、市民活動を行っていた人たちが「オルタナティブな日本」をつくるネットワーキングの中にいることに気づき、それが日本にNPOという概念をもたらすことにつながった。”There is no alternative”などではけっしてない。私たちこそがオルタナティブなのである。

*1 ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究』などを参照のこと。これを1冊読まなくても、「ハーバーマス 市民的公共性」などで検索すれば、概要はつかめる。
*2 ウェブではすでに読めなくなっているが、ポリタスもんじゅ君が寄稿した記事「安倍首相の「ティーナ」なニッポン」を参考にした。
*3 フランク・パブロフ『茶色の朝』日本語版にメッセージを寄せた哲学者の高橋哲哉は、社会の中にファシズムや全体主義に通じる現象が現われたとき、それらに疑問や違和感を感じながらもやり過ごしてしまうことの問題性を指摘している。

さいたま市市民活動サポートセンターにおける市民活動と政治の関係の問題を市の条例から考える

さいたま市市民活動サポートセンターの利用団体の中に原発や憲法9条、拉致問題など政治的テーマを扱う団体があることを自民党市議らが問題視しした件について、まず特定非営利活動法人(以下、NPO法人)と政治活動の関係から見ていきました(NPO法人と政治活動の関係について)。

では次に、さいたま市の条例から今回の問題について考えていきたいと思います。さいたま市市民活動サポートセンター条例では、第1条に設置目的、第5条に利用資格が規定されています。

第1条 さいたま市市民活動及び協働の推進条例(平成19年さいたま市条例第19号。以下「推進条例」という。)第8条の規定に基づき市民活動(推進条例第2条第2号に規定する市民活動をいう。以下同じ。)を支援し、その活性化を図るため、さいたま市市民活動サポートセンター(以下「センター」という。)をさいたま市浦和区東高砂町11番1号に設置する。

第5条 施設等のうち、多目的展示コーナー、団体ロッカー、メールボックス及び貸出機材(以下「貸出施設等」という。)を利用することができる者は、市民活動団体(推進条例第2条第3号に規定する市民活動団体をいう。)であって、市内で主たる活動を行うものとする。
2 貸出施設等を利用しようとする者は、あらかじめ利用の登録をしなければならない。

このように、さいたま市市民活動サポートセンターは「市民活動を支援し、その活性化を図る」施設で、その貸出施設を利用できるのは「市民活動団体」であると定められています。

この条例でいう「市民活動」「市民活動団体」は、さいたま市市民活動及び協働の推進条例(以下、推進条例)の第2条において規定されています。

第2条 この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
(1) 市民 市内に居住し、若しくは滞在し、又は通勤し、若しくは通学する者をいう。
(2) 市民活動 市民が地域又は社会における課題の発見及び解決のために、自発的かつ自主的に行う非営利で公益的な活動をいう。ただし、次のいずれかに該当するものを除く。
ア 宗教の教義を広め、儀式行事を行い、又は信者を教化育成することを目的とする活動
イ 政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを目的とする活動
ウ 特定の公職(公職選挙法(昭和25年法律第100号)第3条に規定する公職をいう。以下同じ。)の候補者(当該候補者になろうとする者を含む。)若しくは公職にある者又は政党を推薦し、支持し、又はこれらに反対することを目的とする活動
(3) 市民活動団体 市民が自由な意思に基づいて集まり、自律的に市民活動を行う団体をいう。

政治にかかわるのは第2条(2)のイとウです。これらの条文は特定非営利活動促進法(以下、NPO法)第2条2項2号のロとハとほぼ同じ文言であることがわかります。推進条例のイでは「主たる」という言葉が入っていないのが違いです。

よって、推進条例での市民活動の規定は、NPO法でのNPO法人についての規定をもとにしており、その条文の解釈はNPO法のものを基本的に引き継いでいると考えられます。もし別な解釈がされるように条例をつくりたいのであれば、条文をNPO法とは異なる表現にするはずだからです。

推進条例の定義からすると、ここでいう市民活動からは、(たとえ従たる目的であっても)政治上の主義の推進等を目的とする活動および特定の公職者等を推薦する等を目的とする活動は除かれるということです。

つまり、ここでも「政治上の施策」の推進もしくは反対の活動は制限されていませんし、「目的とするもの」でなければ、市民活動団体が結果として特定の公職の候補者の推薦等とみなされる活動を行うことまでは否定されていないと言えるでしょう。

報道によると、自民党市議らによって問題とされたのは原発や憲法9条、拉致問題などを扱う団体とのことした。個別の団体の具体的な活動についてはわからないので一般論になりますが、これらの団体がその活動目的にもとづいて政治上の施策の推進あるいは反対をすることや、扱うテーマから特定の政党・政治家の政策に賛成あるいは反対の活動をすることは、推進条例の市民活動の定義からは外れないと考えられます。

上述のような解釈の範囲内において問題がないにもかかわらず、この推進条例の条文を拠り所として市民活動と政治の関係を問題視するのであれば、それは条例の解釈を恣意的に変えていることになるでしょう。

続きの文章を書きました→【さいたま市市民活動サポートセンター指定管理制度停止問題】なぜ声を上げなければならないのか – 市民的公共の観点から

NPO法人と政治活動の関係について

さいたま市市民活動サポートセンターの利用団体の中に原発や憲法9条、拉致問題など政治的テーマを扱う団体があることを自民党市議らが問題視し、同センターの指定管理者制度を取りやめる条例改正案が2015年10月16日、市議会で可決されました。これは公共性の確保などの観点から、非常に大きな問題だと思われます。

さいたま市市民活動サポートセンターはさいたま市の設置する公共施設であることから、何が問題か、あるいは問題でないかは、施設の設置条例を確認する必要がありますが、まず議論の前提として、特定非営利活動法人(以下、NPO法人)と政治活動との関係を法律の面から見ていきます。

なお、この稿ではNPO法人についてのみ扱い、他の法人格や任意団体については扱わないものとします。そして、今回のさいたま市市民活動サポートセンターの件については、稿を改めて論じます。

結論を最初に言うと、NPO法人は政治活動ができます。ただし、いくつかの制約があります。

以下、要点を説明します。

①NPO法人が「政治上の施策」の推進をすることにNPO法上の制約はない。

特定非営利活動促進法(以下、NPO法)の第2条2項2号では、NPO法人の要件について以下の規定があります。

イ 宗教の教義を広め、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とするものでないこと。
ロ 政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを主たる目的とするものでないこと。
ハ 特定の公職(公職選挙法 (昭和二十五年法律第百号)第三条 に規定する公職をいう。以下同じ。)の候補者(当該候補者になろうとする者を含む。以下同じ。)若しくは公職にある者又は政党を推薦し、支持し、又はこれらに反対することを目的とするものでないこと。

政治活動に関係があるのはこのうちロおよびハです。まずロから見ていきましょう。

ロの「政治上の主義を推進等」の意味については、政治資金規正法第3条1項等の「政治上の主義若しくは施策の推進等」という条文から来ています。ここで大事なポイントは、「政治上の主義の推進」と「政治上の施策の推進」は別のものであり、NPO法において後者についての制約はないということです。

それでは「政治上の主義」と「政治上の施策」はそれぞれどういうものでしょうか。

「政治上の主義」とは、政治によって実現しようとする基本的、恒常的、一般的な原理や原則を指し、資本主義や社会主義といったものがこれに当たります。「政治上の施策」は、政治によって実現しようとする具体的な方策を指し、自然保護や老人福祉対策などがこれに当たります(*1)。

よって、NPO法人がある政策を提言する、あるいはある政策に反対するということについて、NPO法上は問題ありません。

②「主たる目的」でなければ、NPO法人が「政治上の主義」を推進してもよい。

NPO法第2条2項2号のロでは、「主たる目的とするものではないこと」との言葉が入っています。つまり、主たる目的では政治上の主義を推進できませんが、従たる目的であれば構わないということです(*1)。

③「目的とするもの」でなければ、NPO法人が結果として特定の公職の候補者の推薦等とみなされる活動を行うことまでは否定されていない。

NPO法第2条2項2号のハでは、「目的とするものではないこと」と書かれています。これはNPO法が制定される際、参議院の段階で修正で入れられた文言です。その趣旨は、定款に書かれるような事業活動の範囲として選挙活動等が行われないのであれば、結果的、偶発的、あるいは付随的な形で公職者等を批判するということには当たらないようにするためです(*2-②)。

やや長くなりますが、NPO法の逐条解説での説明も引用します。

また、本条2項2号ハの趣旨は、特定の公職の候補者等の唱える「政策」について、それを支持したり、反対すること、つまり、これらの者について選挙において当選を得せしめ、あるいはそれに反対するような活動およびそれと同類の活動を目的として活動することを禁止している、と限定的に解釈されるべきである。たとえば、特定の政党や候補者の政策に反対や批判をすること、賛成をすることは、団体の目的の範囲内であれば許されると解釈できる。また、団体の目的から行う住民訴訟も可能である。
(堀田、雨宮編『NPO法コンメンタール-特定非営利活動促進法の逐条解説』1998年 p.94 )

よって、例えば環境保護を目的とするNPO法人が、その活動に付随して、環境破壊を伴う開発を行おうとする特定の政治家・政党の政策に批判や反対をすることや、自然保護を推進しようとする特定の政治家・政党の政策に賛成することは禁じられていないと言えるでしょう。

④認定NPO法人は一般のNPO法人よりも政治活動の制限がある。

認定NPO法人の場合、NPO法第45条1項4号イにおいて次のような規定があります。

イ 次に掲げる活動を行っていないこと。
(1) 宗教の教義を広め、儀式行事を行い、及び信者を教化育成すること。
(2) 政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対すること。
(3) 特定の公職の候補者若しくは公職にある者又は政党を推薦し、支持し、又はこれらに反対すること。

NPO法人の要件と異なるのは、(1)(2)については「主たる目的とするものでないこと」、(3)については「目的とするものでないこと」という文言がなくなっていることです。そのため、認定NPO法人においては、政治上の主義の推進等の活動や特定の候補者等の推薦等の活動は、その目的にかかわらず認められていません。

しかし、認定NPO法人においても、「政治上の施策」の推進や反対の活動をすることには制限がありません。

 

以上見てきたように、NPO法上、一部制約はあるものの、NPO法人が政治活動を行うことはできます。「NPO法人は政治活動をしてはならない」という意見がしばしば聞かれますが、NPO法上はそれは当たらないと言えます。

続きの文章を書きました→さいたま市市民活動サポートセンターにおける市民活動と政治の関係の問題を市の条例から考える

*1 詳細は、NPO法の逐条解説(堀田、雨宮編『NPO法コンメンタール-特定非営利活動促進法の逐条解説』1998年)や内閣府ホームページのQ&A(3-8-3、3-8-4)等を参照してください。

*2 NPO法は超党派による議員立法によってつくられた法律です。国会における提案者側の答弁が、条文の解釈にも反映されています。関係する答弁を以下に掲載したので、こちらも参考にしてください。

①1997年5月29日 衆議院内閣委員会

金田(誠)委員:(前略)
 この宗教に関する条項の次に、「政治上の主義を推進し、」という条項が連なっているわけでございます。第二条第二項第二号のロでございますが、「政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを主たる目的とする」というものは、これは認証外になってしまうわけでございますけれども、その解釈でございます。
 先ほど来も主義と施策の違い、既にもう明らかになったかなと思いますけれども、繰り返しになりますが、確認をさせていただきたいと思います。特定の政策を提言をし、これを目的とするという活動は、この規定による「政治上の主義」ということとは別だ、含まないというふうに理解をしていいかどうか、再度確認をさせていただきます。
(後略)

辻元議員: ここの部分は、この案をつくるときも随分議論してきた部分ですので、正確にお答えするために、私たちがこの提案者と、そして法制局の皆さんのお知恵もかりまして、一文つくってありますので、これをしっかり読ませていただきますので、御確認ください、間違えると大変ですから。
 「「政治上の主義」とは、政治によって実現しようとする基本的・恒常的・一般的な原理・原則をいい、自由主義、民主主義、資本主義、社会主義、共産主義、議会主義というようなものがこれに当たる。」この政治上の主義と政治上の施策とは区別されております。ですから、政治上の施策の推進、支持、反対を主たる目的とすることは禁止されておりません。この政治上の施策とは、政治によって実現しようとする比較的具体的なもの、例えば公害の防止や自然保護、老人対策等というものと解されております。
 なお、主たる目的とするものではあってはならないと規定されておりますから、政治上の主義の推進等であっても、これを従たる目的として行うことは禁止されておりません。
 それと、今御指摘の、さまざまな政策を提言していく、これは今いろいろな市民活動の中でも活発に行われていることで、これは施策に当たりますので、できるというふうな解釈です。それから、その施策に対する政策提言が、どのようなお立場であっても、この法律によっては制限されるものではないというふうに確認できます。
(後略)

②1998年3月17日 衆議院内閣委員会

倉田委員:(前略)
 そこで、今の話の続きでもう一点、これは今回参議院段階で修正をされたことにもかかわるわけでありますけれども、「特定の公職の候補者若しくは公職にある者又は政党を推薦し、支持し、又はこれに反対することを目的とするものでないこと。」こういうふうにございます。
 ここの文でございますが、例えばこれも、法人として認証された団体は、ここに言う公職者に対するいわば批判、この批判の自由というのを制限されたようにも見えます。この点、憲法上保障される表現の自由と問題ないのかどうか。また、この部分は衆議院段階でも問題になったわけですけれども、主たるという言葉がない分だけ余計にそう見えるわけでございますが、この点、参議院としてはどうお考えになったのか。
 私がこのように申し上げますのは、例えば、この法人が首長を相手に訴訟を起こしたり、あるいは、首長をやめろ、こうリコール運動を起こしたりするようなことが、公職者に反対することを目的とするものでないことという規定からすればできなくなるおそれがあるのではないのか、そう思うわけです。この点はどうでしょうか。
 こう申し上げますのは、例えば、公職選挙法、ここに言う公職者というのは、例えば首長であるとかあるいは政務次官だとか、いわゆる選挙によって選ばれたことが当てはまるんだと思うのですね。そういう人たちに対してはそういうことを、反対することをしてはいけないけれども、例えば事務次官だとか副知事だとか、そういう人たちに対してはやってもいいみたいな形になってしまって、この辺どうなのかなと何となく疑念を持ったわけです。
 「反対することを目的とするものでないこと。」と、参議院ではこのような修正を入れていただいた、私はこのように理解をいたしておりますが、今私が申し上げました点については、提案者としてはどのように理解をされておられるわけでしょうか。

山本(保)参議院議員:(前略)
 まず、立法者意思として、この条文が表現の自由でありますとか結社の自由等に触れるものではないと先ほど海老原議員からもお話がありましたように、そういうものではないのだということは確認させていただきましたが、しかし、法文である以上、この法文がひとり歩きするようなことがあっては困るわけであります。本来的には全面削除もしくは全面書きかえを私どもは最後までお願いいたしましたけれども、諸般の事情からそれは難しいという御返事でありましたので、私どもとしましてもぎりぎりの妥協としまして、今先生がおっしゃったような修正をお願いし、受け入れていただいたわけであります。
 この「目的」という言葉を入れましたことによりまして、いわば、先ほどいろいろなお話がありましたけれども、結果的に、またあるいは偶発的に、そして付随的な形で公職者等を批判するというようなことには当たらないようにしよう。また、衆議院における提案者におかれましても、今回の議論をずっと見させていただきますと、この条文につきましてはすべて選挙に関する議論しかされていないという、これが立法者意思であるというふうに私どもも考えました。それであるならばということで、「目的とするものでない」と入れさせていただいたわけであります。
 言うなちば、この法人の目的とは、つまりすなわち、定款で定められるような事業活動の範囲としてということでございます。そして、それによって特定の公職の候補者等を推薦、支持、これらに反対することが行われるものでない場合にこれに当たるのであるというごとでございます。ようなということでございますので、定款に定められるようなということから、実際上定款に書いてあるということよりは、客観的に、実態的に、そのようなものとして、目的として動いていたということがここで事後的に判断をされるということはやむを得ないかと思っております。
 それから次に、訴訟等でございます。
 これにつきましては、既に衆議院段階で、衆議院の提案者の方から、住民訴訟等は、これは全く住民として保障された権利であり、これはこの条文に当たらないという答えをいただいております。
 ただし、市長や議員のリコール、解職請求につきましては、リコール自体は選挙運動ではないということでございますが、この法の趣旨であります公職によって選ばれた者についての、その身分についてのものでございます。そこで、この条項の意味しておりました選挙運動類似の活動であると考えられますので、繰り返しになりますが、定款で定められるような法人の事業範囲、事業活動の範囲としては、このことはできないというふうに考えております。
 ただ、当然のことではありますが、法人として行う、法人の目的として行うことはできないわけでございますが、個人あるいはその有志がグループとして行うことについて制約するものではないことは、これはもう当然のことでございます。
(後略)

頼み上手、頼まれ上手

NPOが周囲の支援を得ながら活動を広げていくために重要な要素として、「頼み上手・頼まれ上手」ということがあるのではないかと思います。

以前、NPO法人ばざーる太白社会事業センターの代表理事の斎藤さんに、認定NPO法人取得のための団体運営の秘訣を伺ったら、斎藤さんは「私は「お願いの斎藤」と呼ばれてるから(笑)」と冗談めかしておっしゃってましたが、うまく人に仕事をお願いして助けてもらっているということでした。無理矢理仕事を押し付けるのではなく、受ける人にも斎藤さんにお願いされたからには引き受けようと思わせるような関係ができているのでしょうね。

またその一方で、斎藤さんは困っている方からの相談や頼みごとも真摯に引き受けているのではないかと、いろいろお話を伺っていて推察されました。

斎藤さんは会報を送るときに、100名を超える会員さん一人一人宛に手書きで一言メッセージを添えています。そういうことは大事だとはよく言われるけれど、それをやっている人はなかなかいないですよね。本当に一人一人の会員さん・関係者の方を大切にしているからこそできることです。

上手に頼み、上手に頼まれる。そういう関係性を丁寧につくっていく。地星社もぜひ見習いたいところです。まずは手書きメッセージからか。

取り組むべきコアの課題と、提供できるコアの価値は何か

 NPOにとって大切なことは、取り組むべきコアの課題と、それに対し提供できるコアの価値は何かということだと思う。

 対象と事業が比較的はっきりしている団体であれば、この問いに対する答えも出しやすいだろうけれども、多くの事業を手がけている団体や、中間支援団体にとっては答えるのが意外と難しいかもしれない。

 後者の問いについての、地星社の暫定的な答えは「社会をよりよくしようとしている人や組織を対象に、課題にフォーカスした個別支援を行い、社会変革につなげる」である。社会変革まで行っていないので、まだ提供できていないではないかと言われればその通りなのだが。

 もうちょっと、地星社が取り組むべきコアの課題と、提供できるコアの価値について考えてみたい。

現場の声を聞いているか

NPOの中間支援という仕事をしていると、普段接する層というのがかなーり偏るのではないかと思う。

相談対応とかでお話を伺うのは、代表や事務局長など団体のマネジメント層か、もしくは事務を担当している事務局スタッフである。NPOという狭い世界で、さらにそのマネジメント層か事務スタッフとしか接していないのだ。例えば、福祉系のNPOで高齢者のケアを担当している現場のスタッフに接するということはあまりない。

NPOの運営相談で接するのはマネジメント層でも、課題解決の答えを持っているのは現場スタッフだったりする。代表や事務局長の話と、現場の声はまた違うということも最近よくわかってきた。受益者や支援者の見方もまた違うだろう。

そういう多面的な捉え方をすることを、より意識しておかないといけないと思う。