こんな本を読んだ

地域に愛される大学のすすめ(NPO法人オンデマンド授業流通フォーラム、大学イノベーション研究会編)

地域に根ざした教育を展開している大学の事例として、松本大学、共愛学園前橋国際大学、南大阪地域大学コンソーシアムの3つが取り上げられている。昨今グローバル教育がもてはやされているが、教育の本質ということからするとむしろこういった取り組みに学ぶところの方が多いのではないか。地域に出かけて、地域の課題に取り組むということを、ぜひ多くの大学に体験してもらいたいと思う。

本書で紹介されていた2つの大学と1つの大学コンソーシアムの事例はどれも興味深いものだったが、ここでは南大阪地域大学コンソーシアムが行った事業をひとつ書いておく。

リンカーンマッチングプロジェクトというもので、「学生の学生による学生のための就職活動」である。活動は二つあって、ひとつは学生が地域の中小企業を取材し、就職情報誌をつくること。もうひとつはこの取材をもとに、学生が企業の紹介をする合同企業説明会「就コレ」を開催すること。

取材の前にはマナー研修やインタビュー研修もあって、社会と接するときの振る舞い方をみっちり教わる。そして、就職情報サイトなどでは出合わないような地域の中小企業の存在を知って、中小企業に対する先入観が変わり、地元の優良企業と認識するようになる。また、就職情報誌をつくる過程や、合同企業説明会でプレゼンをすることで文章力、表現力も鍛えられる。もちろん、これを最後までやり遂げることで得られることも大きいだろう。

このコンソーシアムは特定非営利活動法人の法人格を持って運営されている。地域の大学が会員として参加しているNPOなのだ。複数の大学が組むことでうまく相乗効果を挙げているようだ。全国に大学コンソーシアムは数多くあるようだが、私のような部外者からすると単位互換制度をやっている程度に過ぎないように見える。南大阪地域大学コンソーシアムのようなやり方を見習ってもよいのではないだろうか。

コミュニティオーガナイジングと社会運動

 ふらっとーほくの松島さんのお誘いで、コミュニティオーガナイジングの説明を聞く機会がありました。

ハフィントンポストでの紹介記事はこちら→「日本人に眠る能力を引き出したい」オバマ氏を大統領にした「コミュニティオーガナイジング」を広める鎌田華乃子さんに聞く「未来のつくりかた」

 コミュニティオーガナイジングを平たく言うと、社会運動すなわち市民による社会変革の手法を体系化したものとなるでしょうか。提唱者のマーシャル・ガンツ博士は60年代の公民権運動を始め、さまざまな草の根の市民運動に実際にかかわってきたそうです。2008年のアメリカ大統領選挙で、オバマの選挙参謀も務めたとのこと。さらに市民団体向けにコミュニティオーガナイジングのワークショップを開催しているそうです。

 それで思い出したのが国際青年環境NGOのA SEED JAPANが出していた本。『NGO運営の基礎知識』というタイトルで、今は絶版になっています。アマゾンのマーケットプレイスでお安く売っているので、NPOで活動している人だったら即買いすべし。

 A SEEDは、日本でようやくNPOという言葉が使われつつあった90年代から、市民活動のトレーニング手法をアメリカから学び、また自分たちでもプログラム開発を進め、それをまとめたのがこの本。98年に出された本ですが、内容的には今でもそれほど古びてないと思います。草の根市民団体や、学生団体などに特におすすめ。コミュニティオーガナイジングの手法とも重なる部分があるのではないかと思います。

 NPOで活動している人たちが、こうした社会運動の体系だった手法を学ぶのも大事ですが、社会運動そのものの理論を学ぶことも大事なのではないかと思っています。みんながみんな、小難しい理論を学ぶ必要はないですけど、概要くらいはね。

 大多数の人は知らないでしょうが、世の中には社会運動論という学問領域があって、実は私もそういうのをかじったことがありました。社会運動についてざっくりわかって読みやすい本と言えば、小熊英二さんの『社会を変えるには』が挙げられます。こちらはわりと最近出た本で2012年に出版されました。

 固い内容のわりにはけっこう売れたので、読んだことのある人や、名前を聞いたことがある方もいるかもしれません。新書なのに500ページを超えているのでけっこう分厚いです 笑

 小熊さんは歴史社会学が専門で、社会運動論の専門ではないため、かえって説明がわかりやすくなっています。また、社会運動の背景となる社会思想とか科学技術社会論などについてもページが割かれていて、現在私たちがいる社会の位置が確認できます。

 自分自身でも再度読み直してみたいと思います。

生活保護—知られざる恐怖の現場(今野晴貴)

 NPO法人POSSE仙台支部の渡辺さんにインタビューに行ったときに、生活保護やブラック企業の話も出てきて、POSSE代表の今野さんが書いた『生活保護』(ちくま新書)と『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書)をその場で購入させていただきました。2冊とも読み終えたので、まずは『生活保護』についての感想など。

 NPO法人POSSEは、若者の労働相談や生活相談を行っている団体。本書では、1500件を超える相談対応の経験をもとに、生活保護における違法行政の実態が紹介され、こうした問題が起きる構造についての分析がなされています。

 この本を読んでわかったこと、感じたことなどいろいろありますが、何がすごいかって、生活保護の申請拒否の実態があまりにもひどいこと。最初に取り上げられているのは、京都府舞鶴市に住むシングルマザーBさん(30代)の事例。Bさんは所持金が600円しかなく、生活保護を申請しようと市の窓口に行ったところ、申請書を渡してもらえないため、2012年6月、POSSE京都支部に相談しました。

 そもそも申請書がもらえないという時点でかなり驚きなのですが、書いて持っていっても受け取らないというひどさ。POSSEのスタッフが申請に同行して、そのときの役所とのやり取りが生々しく描かれています。やや長くなりますが、引用します。

 同日午後、今度はBさんの申請に京都POSSEスタッフ3人が同行した。しかし、やはり申請書をもらうことができず、職員に理由を聞いても「もう午前中に話した」としか答えない。
(中略)
 フロアにはC氏と同じ保健福祉係の職員も何名かいたが、「担当じゃないのでわからない」「(C氏を)呼びに行っている」と言うばかりでとりつくしまがない。1時間近く待ってもC氏が姿を現さないため、私たちが自前で用意した申請書を提出しようとしても、職員は「わからない」「受け取る担当ではないので」などとしか答えない。
(中略)
 申請書を受け取ってもらうため、私たちが閉館時間を過ぎても職員と押し問答をしていると、C氏が戻ってきて「もう時間です。業務は終わりました」「もう帰ってください!」と強い口調で怒鳴りだした。しまいにはC氏の「みんな業務の邪魔になるよな!」という声に呼応して、数名の職員が立ち上がって「はい、そうです」「帰ってください」と口々に言いだす、という異常な状況。
 Bさんは申請書をカウンターに置き、「申請します」とはっきり伝え、私たちはその場を後にした。私たちが帰る後ろから、「それは受け取れませんよ。持って帰ってくださいよ!」「Bさん!Bさん!忘れ物ですよ!」と申請書を突き返そうとする職員の声が何度も聞こえてきた。

 当たり前ですが、舞鶴市役所のこうした対応は違法です。このやり取りをしている間にも、POSSEのスタッフは厚労省や京都府の担当者に電話をかけ、舞鶴市役所に指導してもらうのですが、それでも現場の対応が変わらないというのだからある意味筋金入り。

 本書では、こうした「水際作戦」の事例が次々と紹介されていきます。紹介されているのは、どれもここ数年の事例です。また、生活保護受給者に対しても、さまざまなハラスメントなどにより、無理矢理「自立」させて、生活保護から追い出す事例も少なくないようです。

 なぜこうした違法行為がまかり通るのか。行政の財政難から、保護費を削減/抑制したいという予算削減圧力が働くこと、生活保護の決定を担うケースワーカーの人手不足・専門性不足などが挙げられています。

 生保受給者に対するバッシングや世論が、行政の違法行為を支えている側面もあるでしょう。だからこそわれわれは生活保護の実態をもっとよく知る必要があると思います。

 困っている人を見たら助ける、社会的に弱い立場にある人に親切にするというのは、人間の道徳の基本だと思いますが、「道徳教育の強化」を掲げている国が、困っている人を助けず、社会的に弱い立場にある人に厳しいというのはなんとも解せないことです。

発達障害の子どもたち(杉山登志郎)

 地星社で活動するようになってから、以前よりも発達障害の話題に触れることが多くなりました。NPOの活動の現場により出向くようにしたこともありますし、子ども支援のNPOとかかわることも増えたからです。そこで改めて発達障害はいかなるものかを知るために、この本を手に取ってみました。

 著者は小児精神科医で、この本執筆時点の肩書きはあいち小児保健医療総合センター保健センター長。専門は児童青年期精神医学で、発達障害に関する著書も多数あるようです。

 この本は、専門家の立場から、自身がかかわった事例も紹介しつつ、発達障害について平易に解説しています。発達障害についてのさまざまな俗論についても、科学的な見地から著者の見解が示されています。

 読んで関心を持ったことをいくつか。自分のメモ的に書くので、自分以外の人にとっては説明が不十分でよくわからないかもしれませんが。

◯発達障害(developmental disorder)

 障害を英語で記すとdisorder。disは乱れを意味し、orderは秩序を意味する。発達障害はdevelopmental disorderで、英語のニュアンスからすると、発達障害は「発達の道筋の乱れ」あるいは「発達の凹凸」とのこと。知能を構成する能力の諸因子間のばらつきが大きく、そのため結果的に境界知能となることも多いそうです。

 著者による発達障害の定義は次の通り。

「発達障害とは、子どもの発達の途上において、なんらかの理由により、発達の特定の領域に、社会的な適応上の問題を引き起こす可能性がある凹凸を生じたもの」

◯発達障害の4つの分類

 著者は発達障害を4つのタイプに分類しています。

第1グループ…認知の全般的遅れ 精神遅滞、境界知能
第2グループ…社会性の障害 知的障害を伴った広汎性発達障害、高機能広汎性発達障害
第3グループ…行動のコントロールの障害 注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、発達性協調運動障害
第4グループ 子ども虐待

 子ども虐待が入っていることに驚くのですが、あとで1章分が子ども虐待のことに割かれています。

◯自閉症

 自閉症の社会性の障害について、著者は「自分の体験と人の体験とが重なり合うという前提が成り立たないこと」と表現しています。これはどういうことか。その一例として逆転バイバイという現象が紹介されています。

 健常児の場合、乳児期の後半からバイバイの真似をして手を振ることができます。しかし、自閉症児の場合、手のひらを自分の方に向けてバイバイをするそうで、これが逆転バイバイと呼ばれています。大人が赤ちゃんに手を振るとき、手のひらは赤ちゃんの方に向いています。だから、機械的にそれを真似るならば、自閉症児の方が正しいわけです。しかし、赤ちゃんでも、自分の体験と人の体験が重なり合うという前提があるため、通常は相手の方に手のひらを向けてバイバイをするのであり、自閉症児の場合はその前提が成り立っていないのです。

◯子ども虐待

 軽度発達障害は被虐待の高リスク要因であるが、一方で被虐待児は愛着障害に基づく多動性行動障害を中心とする臨床像を示すとのこと。著者の論文がネット上にあったので、リンクしておきます。

 「発達障害と子ども虐待」(PDF)

◯特別支援教育

 特別支援学校や特別支援クラスでの教員の専門性については課題があるようです。専門免許を持つ教員の割合が、特別支援学校では61パーセント、特別支援クラスでは30.8パーセント(いずれも2006年)とそれほど高くありません。しかも、この中には特別支援教員免許認定講習という短期の集中コースで免許を取得しているケースもあるということです。どう考えても高い専門性が求められる職業だと思うのですが、日本において特別支援教育はあまり重要視されていないということなのでしょうか。

 もうひとつ、著者の懸念として書かれていたのは、学校教育の現場にいる教師は、子どもたちのそだちに対し、成人まで責任を持つことが少ないから不適切な対応をしていても、それに気づかなかったり鈍感なのではないかということ。特に、子どものニーズを理解せずに通常学級に通わせようとすることについても、無責任な対応だと批判し、学校の選択にあたって大事な原則は「授業に参加できるかどうか」であると主張しています。

 教育関係者や子ども支援NPOなど、子どもにかかわるお仕事をしている人にはおすすめの一冊です。

「それ、根拠あるの?」と言わせない データ・統計分析ができる本(柏木吉基)

こちらの本は一気に読んだ。おもしろかったからというよりは、単に読みやすかったから。
若手商社マンのA君が、上司にアドバイスをもらいながら、事業計画書をつくるために統計分析をしていくという筋立て。
「利益を出すために必要なことは」「リスクをどう見積もるのか」「何が成功要因なのか」「目標達成に必要な予算はいくらか」という問いに対して、それぞれ有効な統計分析の手法や考え方を解説している。

統計を学ぼうというほとんどの人は、統計を学びたいから学ぶのではなく、何かを明らかにするために統計という手法を必要としているのだと思う。
そう考えると、無味乾燥な数式が並ぶテキストより、こういう本の方が統計を理解するにはいいのではないだろうか。

政策形成(小池洋次編著)

長らく積ん読状態だったこの本、シーズの松原さんのパートのみとりあえず読んだ。社会運動論的。

NPOは、社会でまだ公共的課題とされていないこと、社会全体に関わる課題ではないと思われていることを、見つけ出し、もしくは、それを社会的課題として捉えなおして、提案し、さらに解決策を生み出し、実践していく存在である。さらに、少数者の問題を、多くの人の問題として捉え、人々を巻き込み、当事者とし、解決策の担い手へと転換していく存在でもある。