震災から4年目の中間支援組織の役割について


 改めて、課題へのフォーカスが必要ではないか、ということを考えています。

 ともすると、中間支援組織は、NPOが活動している内容を通してしか課題を見ていないので、そこから見えること以上のものを把握できないおそれがあります。その場合、課題はあるのにそれに取り組むNPOがないため、課題の存在自体が見えないということが生じます。

 それから、今、復興支援活動として行われているNPOの事業のうち、ある程度の規模以上のものは公募助成の資金によることが多いのではないかと思いますが、公募助成にも同じような問題があると考えています。

 公募の助成金の審査では、当然ながら申請されてくる案件に対してフォーカスされます。申請事業はどのようなものか、申請団体は申請事業を遂行するだけの力量はあるか、信頼できる団体かとか。課題の大きさについては、多少は考慮されるでしょうが、それ自体が審査の対象になるわけではありません。それよりも、この事業は持続可能じゃないからとか、この団体は力量が足りないからとか、そういう理由で助成金は不採択になってしまいます。公募の助成金なのだから、それは当たり前のことです。

しかし、助成金が不採択になって、その課題に取り組むNPOがなくなったとしても、課題はそのまま残ります。また、公募しても誰も手を挙げない課題については、やはりそのままです。

 そうした状況を踏まえた上で中間支援組織が何をすべきか。私が考えているのは次のことです。丸数字は優先順位です。

 課題を特定した上で、

①課題と担い手をつなげる
②担い手同士をつなげる
③担い手と、課題解決に必要な社会的資源や外部支援者をつなげる

 そして、これと並行して「担い手を支える」があると考えています。また、課題に対する「嗅覚」を研ぎすますこと、自らも課題について調べてみることというのが前提です。

 そこで地星社でも、こうした動きをしていくべくちょっとずつ準備を進めています。被災地の「子ども」や「子ども支援」に重点を置いて情報を集め始めているのもその一環です。この他にも、ある特定の課題で、動きをつくっていきたいと思っているものがあります。

 また、当然ながら地星社だけでどうにかなる話ではなく、多くのみなさんと協力しながら進めていかないとどうにもならないことばかりです。布田としては今こんなことを考えていますということで、ここに載せておきます。

脱・助成金依存


 NPO向けの助成金申請セミナーは数多くあるけれど(私もつい先日講師で喋ってきたけれど)、震災から4年目を迎える被災地のNPOにとっては、脱・助成金依存セミナーの方が必要なのではないかと思いました。

 とにかくこの3年間は、震災後、急激に増えた社会的課題に立ち向かわなくてはならず、特に地元の団体は助成金・補助金を主な資金源にするしかなかったと思います。だからこそ、地星社でも助成金の情報を提供し続けてきました。

 しかし、助成金・補助金はいつまでも続くものではありません。特に収入のほとんどが助成金である場合、脱・助成金依存を図らないと、持続可能な事業とはならないでしょう。

・その問題に取り組む別の担い手を育てる(当事者に近いところで)。
・その問題を緩和させる別の取り組みをする。
・問題が悪化しないよう予防的な事業をする。
・何らかの手段で対価が得られるようにする。
・継続的に寄付を得られるようにする。
・行政の仕事にする(委託事業になるようにする)。
・それでも足りない分を助成金で得る。

 脱・助成金依存に特効薬があるわけではなく、上に挙げたようなことをそれぞれ時間をかけて取り組むしかないと思います。時間をかけないとできないことだから、早めに取り組み始める必要があります。

 というようなことを、どこかで議論できるといいんだけど。

「行政がすべきことを住民に押し付けるのか!」にどう答えるか


寄りあいNIPPON 全体会の様子
寄りあいNIPPON 全体会の様子

 先日、寄りあいNIPPONというイベントに参加してきました。東日本大震災からの復興を通じて、東北から日本の未来を創造しようという趣旨で開催され、いくつかの分科会に分かれて参加者で議論を行いました。

 私が参加したのは「自立とコミュニティ」という分科会。沿岸被災地のある自治体での取り組み例が紹介されました。そこでは、いくつかの地区ごとに生活支援のセンターを設置しています。地域福祉と社会教育、地域保健の機能を兼ね備えたセンターのようで、行政窓口サービスも一部あるようです。そのセンター単位で、孤独死防止などを目的とした地域の見守りネットワークづくりをつくろうとしていて、8ヶ所のうち2ヶ所で見守りネットワークができたということでした。

 この自治体に限らず、今後の超高齢化社会においては、地域コミュニティという小さな単位の中で相互扶助の体制ができないと、福祉が成り立たなくなる地域が出てくるのではないかと思っています。そうした地域内相互扶助で間に合わない部分を、NPOや専門機関が担ったり、あるいは行政が担うという、いわば補完性の原理にもとづいた地域福祉のシステムをつくることが必要でしょう。福祉に限らず、まちづくりや防災、社会教育、環境保全、あるいはコミュニティビジネスなど地域が主体となり、担っていくというイメージです。

 しかし、分科会での議論に話を戻すと、住民主体の見守りネットワークを地域ごとにつくりませんかと役所の人が住民に話したら、「行政がすべきことを住民に押し付けるのか!」というような反発が起きて、そのためまだ8ヶ所中2ヶ所なのだとか。

 こういう反応が起きるのもわかるし、これはなかなか難しい問題です。役所のお仕着せで形だけ見守りネットワークをつくっても、あまり機能しないかもしれません。地域コミュニティの自発性に任せると、いつそれができるのかわかりません。役所が地域コミュニティに自発性が生まれるよう仕向けるというのもややどうかと思いますしね。

 地域コミュニティと行政との間で、地域課題への認識を共有し、その解決にあたっての役割分担を明確にするようにしないとだめなのでしょう。実際にそういう取り組みがなされている地域はありますから、そういう事例から学んでいくのがまずはよさそうです。

 あと、行政が主、住民/地域コミュニティが従といった図式を、双方が反転させないといけません。これは、地域経営の主体という意味での主と従です。行政がサービス提供者、住民/地域コミュニティが客という認識があるならば、それも変えていかないといけないということでもあります。

「誰しも進んでやりたがらないけれど、誰かがやらなければならない仕事」について


 「誰しも進んでやりたがらないけれど、誰かがやらなければならない仕事」

 これをサリンジャー風に言えば「ライ麦畑のキャッチャー」で、村上春樹風に言えば「雪かき仕事」、内田樹風に言えば「歩哨」である。言い方がいろいろあると面倒なので、ここでは一番言いやすい「雪かき仕事」で表現を統一しよう。

 で、雪かき仕事についてである。

 本当に雪が積もっていれば、それは目に見えるし、雪かきすれば人の通れる道ができるのも見える。でも、今の被災地における雪かき仕事は、目に見えにくいし、それに取り組むにはそれなりの力量を必要とされるケースが多いように思う。さらに言うなら、それで成果を上げたとしても、他人からの評価は得られにくいかもしれない。

 「誰かがやらなければならない仕事」であれば、その存在はすぐにわかるんじゃないの?と疑問に思われるかもしれないが、問題というのはその存在を主張する人や、実際にそれに取り組む人が出てきてようやく「問題」として成立するので、放置されていれば本当にそのままなのだ(水俣病はまさにそうだった)。

 今、地星社では宮城県内の被災各地に出向いて、現場で復興支援活動を行っている団体の方にお話を伺う活動をしている。お話を伺っていると、これぞ雪かき仕事と思えるようなことをされている団体さんが少なからずいて、本当に頭が下がる思いである。これらは順次紹介していく予定なので、もうしばらくお待ちいただきたい。

 ただ、僕としては、なされたことを明らかにすることよりも、なされてないことを明らかにすること、要するに、被災地においてまだなされていない雪かき仕事を見つけて、その情報をみんなと共有することが大事なんじゃないかと思っている。そのあとには、じゃあいったいその仕事を誰がやるのかという難題が待ち受けているかもしれないが。

 今は復興支援活動団体向けにいろいろな助成金・補助金が出ていて、これらは企画を公募する形式がほとんどである。しかし、この方式だと本当にタフな雪かき仕事は上がってこないのではないか。気づかれないで放置されていること、気づかれているけれども誰も手をつけないことがあるように思う。問題の所在をもう少し明らかにした上で、それに取り組んでいくための方策をつくるネットワークや連携が必要だと考えている。