プロテストが歴史をつくる


…大衆運動、社会的な異議申し立てに対するアレルギー、嫌悪感、当事者性の欠如には凄まじいものがある。デモや社会運動という語にネガティブな価値観しか見出せなくなっているのだ。これはおそらく日本的な特殊現象であり、かなり異様な事態である。欧米では、言うまでもなくデモは権利である。

朝日新聞デジタル:【放送】日本のテレビ局はなぜ反原発の動きを報じ損ねたのか?

日本において、社会的な異議申し立てやデモに対するアレルギーや嫌悪感は、(この記事で書かれているような)社会的エリート層だけでなく、社会一般的にけっこう強いと思う。3.11後のこの世界にあってもだ。「反対するのはネガティブだからよくない」とか言う人もいるし。

しかし、歴史をつくってきたのは常に、プロテストしてきた人たちじゃないのか。

小器用になるな


小器用になるな、と恩師から言われたことを思い出した。大学院を終えたときに、はなむけの言葉というか、箴言として。

何事も一通りこなせるというのは、必ずしもよいことではない。いいように使われてしまって、自分が本当に注力すべきことができなくなることのないよう気をつけなさい、ということだった。