隣人の姿が見えるか?

俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。

私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。

カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ

ノーベル賞作家カズオ・イシグロのインタビュー記事を引用したが、リベラルでもインテリでもなくても、多くの人にとって、身近な隣人の姿が実は見えてないのではないか、ということが自分にもだんだんわかってきた。

ひとつのきっかけは生活保護受給者のお宅や、ゴミ屋敷となってしまった家を訪問させてもらった経験である。数年前、社会福祉士受験のための実習の中で、社協の職員さんとともになんらかの福祉的支援を必要としている方の家に伺うことがあった。そこで初めて、自分もよく知っているはずの身近な地域に、こんな困りごとを抱えた人がいたんだということに気づかされた。

もうひとつのきっかけは、移動困難者の実情を知ったことである。震災後、NPO法人移動支援Reraとかかわるようになって、話を聞いたり一緒に調査したことで、高齢や障害により移動が難しい人が大勢いて、そうした人たちはQOLが著しく損なわれていることがわかった。

よくよく考えてみれば、そうした困りごとや課題を抱えている人が地域の中にいることは当たり前で、これまでもずっと目にしていたはずなのだが、それらの人々がそれまでは風景としか見えていなかったのだ。

今では、例えばゆっくりとしか歩けないような高齢者を見たら気になるようになったし、その人の生活の背景にも思いを馳せられるようになった。そういう気づきを得られるということだけでも、ReraのようなNPOの活動の意義は大きいと思う。