NPO法人が所轄庁に提出する事業報告書について

NPO法人が所轄庁に提出する事業報告書について質問を受けたことがありました。そのときの回答を、ブログ記事用にやや修正してこちらに載せたいと思います。

事業報告書の真実

NPO法人が所轄庁に提出する事業報告書には、これでないといけないという様式は、実はありません。

所轄庁のホームページからダウンロードできる様式は、何もないと不便だろうという所轄庁の親切心で用意されてあるだけです。なので、事業報告書はそれぞれの法人が好きなようにつくって構いません。

ちなみに地星社でははこんな感じの事業報告書を所轄庁に提出しています。

事業報告書は誰に対して見せるものか?

NPO法人の事業報告書の提出先は所轄庁なので、所轄庁に見せるためのものと思われがちですが、実はそうではありません。

事業報告書は、NPO法人が社会一般に対して情報公開するためのものです。所轄庁はNPO法人の情報公開をサポートするために事業報告書を取りまとめているにすぎません。

なので、社会一般に対して情報公開をするには、どのような情報があるとよいかという観点で事業報告書を作成するとよいのではないかと思います。所轄庁のフォーマットに従う必要もありません。

なぜそのようになっているか?

NPO法人制度ができる以前、旧公益法人制度では行政が公益性の判断をして、法人設立を認可していました。

NPO法人制度では、行政が公益性を判断することなく、一定の要件を満たせば法人設立が認証されるようになりました。

これは、誰でも簡易に法人設立できるけれども、公益性を判断するのは社会一般で、社会から支持される団体には協力や資源が集まり発展していく一方で、そうではない団体は衰退し淘汰されていくだろうという考えに基づいています。

その社会一般からの公益性の判断の材料として、情報公開の原則があり、それを制度的に担保するものとして毎年度の事業報告書の作成と所轄庁への提出があります。

とはいえ、この制度もすっかり形骸化しているのが現状です。ほとんどのNPO法人は、所轄庁に出すためにこのフォーマットで事業報告書を出すものだと認識していると思います。所轄庁に提出する事業報告書と、会員に配布する事業報告書を分けている団体もあります。

加藤哲夫さんも生前、このことに強い問題意識を持っていて、所轄庁がホームページに載せる様式を変えるべきとか、必ずしもこの様式ではなくてもいいことをわかりやすく明示すべきと所轄庁に提言していましたが、そのようにならず現在に至っています。

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大学教授より謝金が高い?

とあるNPOのスタッフAさんが某行政に申請していた事業について、行政の担当職員から問い合わせを受けたとします。

担当職員 「講師の謝金、1回あたり◯万◯千円もするのですか? 大学教授にお願いするときの謝金より高いので、どうかと思ったんですが」

Aさん 「大学教授は、大学からすでにお給料が出てますよね。なので、謝金が安くても社会貢献価格で引き受けてくれるんですよ。今回の講師の方は、これ自体がお仕事ですので」

担当職員 「この講座、◯回やって、全部で謝金が20万円じゃないですか。一人の講師の方にそれだけの高額の謝金が行くのもどうかと。講師を毎回別の方にするとかはできませんか?」

Aさん 「一続きの講座なので、毎回別の講師というわけにはいかないのですが。あと、20万円で高額とおっしゃいましたけれど、この一連の講座を仮に年間10ヶ所でやるとしたら相当な労力ですよね。でも、この額だと年に10ヶ所でやっても200万円にしかならないわけですよ。講師の方がこの事業の公益性を考えてくれて、本来ならもっとかかるところを20万円にしてくれているんですが」

これは架空の例ですが、こういうやりとりが発生するのはNPOあるあるでしょうか?

さて、私がネットでググったところ、大学教授の平均年収は約1100万円とのこと。国公立か私立かや、年数、分野などでも幅はあるでしょうが、ここでは仮に1000万円とします。それで、講演料を仮に3万円とした場合、講演料だけで1000万円を稼ぐには何回講演をすればよいでしょうか?

1,000万円/30,000円=333.3回

これを12ヶ月で割ると…

333.3回/12ヶ月=27.8回/月

土日関係なく毎日講演をやるくらいで、ようやく大学教授の年間の給与相当に達しそうなことはわかりました。実際問題として、こういうペースで講演をやるのは無理でしょう。本業の仕事としてやった場合、講演料が3万円では大学教授レベルの年収を得るのは難しそうです。

社会貢献価格でも大丈夫な人と、それ自体がお仕事の人とへの報酬を、同じ土俵で比べるのは適切ではないと常々私は思っていますが、みなさんはいかがでしょうか?

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その昔、私は外国人だった

こういうことを言うとちょっと驚かれたりもするのだけど、その昔、私は外国人だった。外国人だった頃は、社会におけるマイノリティだったし、何かと不自由な思いもした。

とは言っても、在日◯◯人から日本人に帰化したとか、そういうことではない。もともと日本人だが、一年ばかり海外で生活していて、その間はその地において外国人だったのだ。そんなことを改めて思い返したのは、次のような記事を読んだから。

Eさん:マジョリティー街道を歩んだ人たちを変えるのは、相当難しいと感じています。家庭環境などに比較的恵まれた状態で成功体験を積んだ上で、社会的な地位と収入面を求めてテレビ局に入社した男性が相当いる。マイノリティーになった経験が一度もない人の意識を変えるのは本当に難しいです。

テレビ離れが進む本当の理由、ここでしか言えない女性局員激論120分 | Business Insider Japan

在京テレビ局で働く女性5人の匿名座談会の記事で、テレビ局の男性社員を上記のように評しているのを読んで、なるほどそこかと今さらながら思ってしまった。「マイノリティになった経験が一度もない」そういう人が世の中の支配層なのだ。

ところで、私が外国人だったときの話に戻ると、滞在していたのはドイツで、ある国際交流のプログラムに参加して、ホームステイをしながらボランティア活動をするというものだった。言葉や習慣などで不自由することはあったものの、何かと親切にしてもらったというのが実際のところで、外国人であるがゆえに差別的な扱いを受けたことは少なかった(通りすがりに「外国人は出て行け」とつぶやかれたことが2、3度あった程度)。

ホームステイ先やボランティア先は、こちらが外国人だとわかった上で受け入れてくれているので、親切なのはある程度想定はされたが、私が驚いたのは旅行先で道がわからないでいたら、こちらの困っていそうな様子を見て道を教えてくれたり、案内してくれた人がけっこういたことだ。

こうした経験を経て、「日本にいたとき、外国人にはもっと親切にしてあげればよかった。これから日本で外国人の人と接することがあれば親切にしてあげよう」と思うようになった。

ドイツに行く前の学生時代、住んでいた学生寮には外国人留学生もたくさんいて、接する機会もそれなりにあった。それでも、外国人として暮らすことの大変さをわかってあげていたかというとそうでもなかったと思う。こういうことは自分が同じ立場にならないとなかなかわからないことを身をもって感じた。

マジョリティの人でももちろんマイノリティに対し親切な人はいる。しかしそれはややもすると「施し」的、あるいは「してあげている」的な親切になるおそれがある。マジョリティ側が本当の意味でマイノリティを理解していないからだ。だから本質からずれてしまう。政府が掲げる「女性活躍」なんかもそうしたものの一つだろう。

女性活躍もよいが、上級国民のような人たちに擬似的にでもマイノリティ体験をさせる政策が実は必要なのではなかろうか。

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価値観の変わる方向性

ネットで、下ネタや武勇伝にはこう返す!職場の「おじさん」対処法という記事を見つけた。CanCam.jpの記事で、若い女性会社員を対象読者としたものだろう。記事には2015年11月2日作成とある。

この記事において【対策】として書かれてあることと、【NG例】として書かれてあることが、2021年の現在ではことごとく逆に思えてしまって興味深い。例えばこんな感じ。

◆周囲が凍りついてもお構いなし「ダジャレおじさん」
【対策】たとえ面白くなくてもとにかく笑う
【NG例】「どういう意味ですか?」質問する

下ネタや武勇伝にはこう返す!職場の「おじさん」対処法

→2択であれば、NG例の方を取りたい。おもしろくなくても受けたフリをすると、おじさんは図に乗るおそれがあるので、聞こえなかったふりをするのがよいだろう。それでもしつこく続くようであれば「それってどういう意味ですか?」と詰めて、黙らせてみてはいかがだろうか。

◆「セクハラです」と言えれば楽ですが……「下ネタおじさん」
【対策】不快な気持ちでもコミカルに怒る
【NG例】軽蔑の目で見て無視する

下ネタや武勇伝にはこう返す!職場の「おじさん」対処法

→これも基本は無視でよいだろうが、なかなかやめないようであれば「それってセクハラですよ」と、軽蔑のまなざしで教えてあげるのが本人のためにもよいのでは。笑って返したりするとおじさんはつけ上がる。下ネタおじさんを2021年の人権感覚にアップデートしてあげよう。

◆昔のオレ自慢はうんざり「武勇伝語りおじさん」
【対策】一度は聞くことでおじさんもご機嫌に? 本気でほめて話題を切り替え
【NG例】「その話、前にも聞きましたよ」と伝える

下ネタや武勇伝にはこう返す!職場の「おじさん」対処法

→「その話、前にも聞きました」と返すのは秀逸な返しでは 笑 それでも語りが続くようなら、「今忙しいので」と言って自分の仕事に戻るなり、会議などの場であれば「では、本題に戻りましょう」と一声かけるとよいだろう。

だじゃれや武勇伝語りは、下ネタと違ってハラスメントとまでは言えないかもしれないが、がまんして聞かざるを得ないのは、年上と年下(上司と部下)というだけでなく男性と女性という二重・三重に非対称な権力関係にあるからだろう。人間関係上、一定の許容はありつつも、あまりかまってられないようであれば女性の側でそれなりの対応をすることも必要だと思う。今は2021年なんだし。

さて、数年くらいでもけっこう社会の価値観は変わるものだというのが率直な感想である。しかし、価値観は変わりうると言っても、今日の社会におけるジェンダー感覚が過去の時代に後戻りとはならないだろう。その歩みはゆっくりだったり急だったり、たまにバックラッシュはあったりするけれど、人権やジェンダーの価値観は平等の方へは向かっていると思う。

価値観の変わっていく方向がわかっているなら、むしろその動きを先取りするくらいでいいと思うのだが、社会の制度などはなかなか変わらないのが残念なところだ。せめて自分のかかわる範囲では、そうした方向性を踏まえた動きができるよう努めたい。

私も年齢的にはおじさんで、だじゃれや下ネタは言わないものの、武勇伝語りなどはしてしまうかもしれない。えらそうにしておくのは、細々と書いているこのブログくらいに留めておこう。

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パレスチナのオリーブオイル石けん

某所でたまたま話の流れで使っている石けんの話題になって、私はパレスチナ・オリーブというところの石けんを使っていると話した。パソコンもあったので、ネットで検索してページを見せたら、あらお洒落な感じですね、オリーブ石けんだなんて美容に気を遣ってるんですかみたいな反応だったので、いやいやそうではなくてガチ硬派の石けんですよ、もちろん品質もいいけど応援の意味もあってこの石けんを使ってるんですと説明した。

パレスチナ・オリーブは、パレスチナの生産者をパートナーとし、日本でオリーブオイルやオリーブ石けん、刺繍製品を輸入・販売しているフェアトレード団体である。代表の皆川さんとは、彼女が仙台にいた頃に知り合い、そのご縁もあってこちらの石けんを使っている。

石けんの話をした相手の人はパレスチナ問題のことを知らなかった。なので、そのあたりからまず説明をして、占領下で抑圧された状況にある人たちへの応援と連帯のためにこの石けんを使っているんですと伝えた。

そもそもパレスチナ問題は複雑だし、私もそれほど詳しいわけではないのでどれだけ伝えられたかは心許ないが、そうした問題が世界の中にあることをちょっとでも知ってもらったなら石けんを買う以上の意味はあったのかなと思う。

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円環的時間の世界―学校、PTA、町内会、行政

政治学者の方が小学校のPTA会長を担って、PTAを改革し、保護者の負担となっていた会議やイベントを減らして、問題解決型の組織に変えていったストーリーが毎日新聞の記事になっていて、興味深く記事を読んだ。

もし政治学者がPTA会長になったら 岡田憲治・専修大教授 | 毎日新聞

コロナ禍でPTAに何が起きたか 岡田憲治・専修大教授 | 毎日新聞

PTAに限らず、何のためにやるのかよくわからないけれども例年のことだからやらざるを得ないことの多い、前例踏襲型の組織は少なからずある。そうした組織が、環境の変化に適応できず、日本社会の停滞の大元になっているようにさえ思う。

なぜ変化に適応できないのか。まったくの思いつきで生煮えの考えを書くけれど、それらの組織が「円環的時間」を前提とした組織のありようになっているからではないか。

円環的時間とは、春→夏→秋→冬と来て、また春に戻るというようなループする時間の流れだ。円環的な時間の流れの中で、特定の時期に特定のことをやることがあらかじめ決まっている。そうすると必然的に単年度主義になり、計画は原則として一年のもの、予算も1年の収入と支出がぴったり合うようにつくることが求められる。

この場合、前例踏襲で例年同じことをやるのがデフォルトになるだろう。こうした円環的時間の組織として思い浮かぶのは、PTAの他、学校、町内会、行政機関などだ。

円環的時間と対比的なのは直線的時間である。直線的時間は、2021年→2022年→2023年→2024年→ というように、過去から未来へずっと直線として延びていく時間の流れである。そうすると例年決まった時期に同じことをやる必要はない。環境の変化に応じた組織の変化も可能になる。

PTAや学校、町内会といった組織が、円環的時間に合わせたものになっているのにも理由があるのだろう。それでも、そこに直線的時間を持ち込むことで、組織の硬直から抜け出すことも可能なのではないか。

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現場のNPOの実情を知ること

中間支援NPOのスタッフでも、自分で団体を立ち上げて運営した経験のある人はそれほど多くはないのではなかろうか。だからこそ、自ら何かをしようと活動している人たちをまずはリスペクトする姿勢が必要だが、中には上から目線の人もいたりする。

中間支援のNPOが現場の団体から信頼されるためには、もっと現場の活動に参加して、現場の実情を知ることも大切だろう。

仙台市など、自治体によっては職員研修の一環で、職員が「NPO留学」として、一定期間NPOの現場の活動を体験するということをしている。同様のことを中間支援NPOのスタッフがやってもいいように思う。

また、現場のNPOの理事会に、進行ボランティア(あるいは書記ボランティア)を中間支援NPOが派遣するというのはどうだろうか。中間支援NPOのスタッフが現場のNPOの経営を学べる機会も少ないし、理事会の進行をサポートしてくれる人に来てもらえるならNPOとしてもありがたいだろう。進行を担うのは、それなりにファシリテーションのスキルがある人じゃないといけないかもしれないが。

私の場合は、かつて草の根市民活動団体で活動していたことが今のバックボーンになっていると思う。当時の活動は、社会に対してはそれほど大きな成果につながらなかったかもしれないが、こうして中間支援のNPOを立ち上げて8年続ける上では意味ある経験だった。

と、ここまで書いたのを読み返してみて、これもまた上から目線だな(笑)と思ったが、いったんこれはこれで今の考えとしてそのまま載せておくことにする。

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子どもたちの子どもたちの子どもたちへ

先日、地星社の事務所にこの春高校に入学したばかりの2人の高校生が訪ねてきた。名取市の魅力を全国に伝えていく活動をしたいとのことで、彼らが立ち上げようとする団体の規約づくりについて少しばかりお手伝いをした。

うちのスタッフのAさんが本業の方でつながりのあった子たちで、もともとAさんに相談があったのだが、今後のことも考えて地星社の方で受けた方がいいだろうということで事務所に来てもらったのだ。

高校生になったばかりというと、震災当時は5歳。Aさんによると、彼らは閖上小中学校の出身で、学校外での子どもの地域活動(ゆりもり隊)にも参加していたそうだ。物心ついた頃からこの10年、地域の被災と復興をずっと目にし、子どもながら復興にかかわってきたわけだ。まさに復興ネイティブといってもいい世代かもしれない。

これからやろうとしている活動も、大人の期待に合わせて動いているんじゃなく、自分たちの「やりたい!」を駆動力にしているところがすごくいい。

地域の大人たちも(引き続き)彼らにかっこいい姿を見せてほしいし、彼らの活動を温かく見守り、ときには力を貸してあげてほしい。地星社で囲い込むわけでもないので。

彼らが大人になったときに、さらに次の世代の地域の子どもたちに何か還元してくれるといいなあと思った。

ちなみに今回のタイトルはピチカートファイヴの曲名から。

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デモのある風景

前世紀の終わり頃、ハンブルクの隣の小さな町に1年ばかり滞在していた。週末は退屈だったので、バスと電車を乗り継いでよくハンブルクの中心部まで出かけていた。週末のハンブルクでは、常に誰かが何かのデモ行進をしている光景を見かけたものである。そんな感じで、ドイツ滞在中はデモは日常の風景のひとつだった。

 政治的なデモに参加する人には「近づきたくない」と考える傾向が、日本と中国では突出して強いことが、アジアと欧米の九つの国・地域の調査からわかった。デモは、投票だけでは表現できない不満や怒りを示す行為で、あまりに敬遠されると人々の声が政治に届きにくくなる、と専門家は懸念している。

政治デモ参加者に「近づきたくない」 日本と中国で突出:朝日新聞デジタル

「政治的なデモ」というとき、この9ヶ国の人たちはそれぞれどんなテーマを思い浮かべるのだろう。

何年か前に「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログ記事が話題になったことがあったが、保育園を増やせとか保育士の待遇をよくしろみたいなことは、ドイツ人だったらデモを起こすんじゃないかと当時思った。

「待機児童問題」という言い方をすればようやく政治問題っぽくなるけど、「子どもを預けられる保育園が見つからない」ことは多くの保護者にとっては私的な問題であって政治の問題とは必しも結びついてないのが日本の状況なのかもしれない。

ドイツで電車に乗っていたとき、乗客の一人がまわりの人に「暑いからちょっと窓を開けませんか」と言って窓を開けた場面に遭遇したことがある。日本だと、みんな蒸し暑いと思っていても、全然知らない人同士の場所で自分からまわりにそういう声がけをして窓を開ける人はほとんどいないように思う。

デモというのは、社会に対する不満を可視化する行為だ。見知らぬ他者に「あなたはどう思いますか?」と問う行為と言えるかもしれない。やや話が飛躍するかもしれないけれど、社会の中に、見知らぬ他者への信頼感のあることが、デモという行為を成り立たせるための一つの条件ではないかと思っている。

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「みんなのわがまま」は公共性を帯びる

「私のわがまま」はただのわがままというか普通のわがままだけど、それが「みんなのわがまま」になると公共性を帯びるのではないか。そんなことを思った。

社会学者で社会運動論を専門としている富永京子氏が『みんなの「わがまま」入門』という本を出していて、同書の「はじめに」に次のように書いている。

この本は、「わがまま」というツールを使いながら、言いづらいことを言いやすくするための本、そしてそこから、社会や政治といった「遠い」ことがらを身近な視点から見ようとする本です。

富永京子『みんなの「わがまま」入門』

この本は、中高一貫校での著者の講演内容を元に書かれたとのこと。「わがまま」をキーワードに社会運動論の知見も用いながら、社会へかかわる方法や考え方について平易な言葉で書かれている。

タイトルにある「みんなの」は、「「わがまま」入門」にもかかっているし、「わがまま」にもかかっているのではないか。前者は、「わがままをツールに社会へのかかわりをつくる方法をみんなで学びましょう」のような、多くの人への呼びかけのニュアンス。後者は、「個人のわがままを、みんなのわがままにすることで、社会的な(公共的な)ものになる」というニュアンス。

せんだい・みやぎNPOセンターの代表理事だった加藤哲夫さんが市民活動の講演で、「私を開くと公共になる」とよく言っていたのを思い出した。

公共は、必ずしもはじめからみんなのものなのではない。特に、それまでの世の中に存在しなかったような公共は、私的なこと、まわりから「わがまま」だと見なされるようなことから始まり、それが「みんなのわがまま」になることで公共のものへとなっていくのではないか。

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